会員同士の日々のつぶやきや自己紹介、質問・お悩み相談などの一言メッセージです。
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2024/11/20
B・ B (大阪府) さん
内部障害1級で認知症の父が(S 8年生まれ、要介護3)2019年5月永眠。60歳で脳梗塞発症以降自宅内で転倒を繰り返した母が(S 9年生まれ、要介護4)2024年7月永眠。25年以上に及ぶ在宅介護終結後は、死後手続き、遺品の整理や処分、住まいの管理に労力をかけている。大切にしていた介護記録や介護用品なども断捨離物はなくても、心に残っている。振り返ると、仕事と子育てと介護の両立、泊り介護、老々介護、認知症介護、一人っ子介護、男性介護、介護のための離職・無職・転職。営利介護事業、福祉ボランティア、テレビ出演やマスコミ取材、社会福祉士資格取得、ケアラー支援条例等を訴えた政治活動、趙高齢社会の現実、看取り・・・。乗り越えられない試練はない、今この瞬間を生き抜く。きっとお天とうさまが見ている。100人居れば100通りの介護がある。一人で悩まず手を繋ごう。すべてに感謝。愛の地球へ。
2024/10/02
堀川一彦 さん
先日は資料、ケア・コミュニティの臨床を送付して頂きました、まことにありがとうございます。小生は堀川一彦は62歳、男も、父と母を見送り、家と土地の相続を、昨年12月28日登記を終了いたしました。これからは趣味(絵とか俳句)専念にしたいものと存じますが、現実は、「なかなかそうは行きませぬ」そして、自分自身の介護(毎年小平市の特定健診はしておりますが・・・)もいよいよ本気になって参ります。宜しくご指導のほどよろしくお願い致します。
2024/07/31
外山努 さん
妻の介護は過去になりました。妻の介護をしている時間は大変だったけれど、その時間は妻の暖かみがあり嬉しかった。しかし、妻が亡くなった今はその時のことを思い出しなつかしく思います。妻を介護出来ていた事に感謝しています。
2024/07/24
豊中のばんちゃん さん
入院した要介護4の母89歳、全身衰弱で医師いわく在宅生活は難しい。介護医療院の準備を進めるも認知症症状が進行、6月20日退院日に病棟でコロナ陽性患者が発生し、母は濃厚接触者として隔離、面会禁止になり、翌日、複数名がコロナ陽性で、母も陽性である、母は痰と咳で食べられず点滴の日々。後日一般病棟へ戻るも衰弱の一途。7月6日永眠。意識のあった7月6日に母の手を握り「生んでくれてありがとう」「育ててくれてありがとう」、一旦帰宅するも、病院からの連絡でタクシーで走る、既に意識なく母に声をかけ、体に触れる。呼吸が止まり、脈が止まった。死因は誤嚥性肺炎、影響を及ぼした傷病名はCOVIDー19感染症。25年以上の在宅介護は終結した。拝
2024/05/22
I・M (鳥取) さん
私の姉は昨年1月に亡くなりました。パーキンソン病で10数年間、夫(私の義兄)からやさしい看護を受け自宅で最後まで2人で暮らしました。その義兄がその後まもなく入所して、姉より1年余り後に亡くなりました。申し訳ないような気持ちでいっぱいです。コロナ禍で数年会うことも出来ずお礼を伝えられず・・・。姉も辛かっただろうなあと思います。「生きていていいのかしら・・・」と小さい声で電話で私に言っていましたから、2人とも辛かったし、幸せだった・・・とも思います。80歳代後半の人生はこんなことでしょうか。傾聴ボランティアをしている独居老人の私に、沢山のことを教えてくれた2人でした。
2024/05/22
ばんばのばんちゃん さん
要介護4の89歳の母、今年2月末から今も入院中。長年在宅単身生活をしていた母を大阪から京都への遠距離介護で支えていた。容態悪化の昨年12月は、月の半分は京都にいた。大阪の戻った1月は、緊急時訪問看護の回数が多すぎて、限度額を超えて10割自費が6万1488円(訪問看護には8万5000円支払い)、自費発生と知ったのは3月になってから、せめて事前にケアマネから教えて欲しい。
2024/05/22
西 本 雅 昭 さん
2017年2月に母を亡くし、限界だった私の体も、3月一杯の再任用も3月で終る時期となった。家の中は空っぽとなり、そのままにする訳には行かぬ我が家で、カラオケをやり、居場所をやり、人を集めた。何でもにぎやかならそれでいいと動き出し、だから一年も続かなかった。そして昔取ったきねずかと庭園管理士として4年間転属で働いた。コロナ禍で何もかも失い、体力と気力も失せこれからの設計を描いたが、気分も、何かしようと思うも何もしないでいたら、突如、目が悪くなり運転も出来ず女房任せとなりました。何が言いたいかと言うと、無気力すぎて、何もしない人間になり果てた。その時、自分は糖尿病をを意識しました。体に力が入らず、何するにも自信が持てず目もボーと見にくい自分を、励まし少しは元気にしようとやりだした所です。糖尿病は治らぬ病、ようしたると信じてはや数年、主治医から「後30年生きて見せんと」我が命、伸びた寿命を全国ネットにかけますか!?
2024/05/22
90歳 男性 さん
「荒川不二夫さんと介護・ケアメン・ネット」しっかり読ませて頂きました。当方も栃木県日光町生まれ、荒川さんと話がしたいですね。25年介護した妻も令和2年82歳で亡くなりました。2013年ケアメン・サミット京都で全国の方と出会い凄い数の名刺を頼りに電話で話しました。最近は話す人も少なくなりました。福山で男性介護者十数人もだんだん少なくなり町の中央にある社協での集まりもなく無くなりました。介護している人達には、プライドと介護していることを言いたくない、数人達と昼食をしながら集まりです。怒鳴る・叩く・物を投げるなど相手の立場になれない、否定する介護者の初期段階を何とか笑わせながらの集まりですが、皆逝き、一人だけデイサービスを相手の活動になりました。認知症と家族の会・若年の集まりも若い方達にお願いしました。グランドゴルフも頑張っています。25年間特別メニューの朝食です。陶芸・木工と忙しい毎日です。事務局様ご苦労様です。90歳過ぎましたが元気です。
2024/04/03
しまちゃん さん (群馬県)
男性介護者の比率が低いので、交流の機会が少なく情報を得られないで一人で葛藤することが多いです。これを少しでも改善したく入会しますので、よろしくお願いします。
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立命館大学人間科学研究所気付
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