コラム男の介護

俺流の介護経験から学んだ俺流の介護のありよう

大和郡山市 出雲晋冶 83才 (妻67才 約10年間介護)


現在は認知症の名のもとに、原因疾患となっている病気の特徴をぬきにして、認知症があたかもひとつの病気として、語られている場合が多いです。認知症とは病名ではなく、頭痛・歯痛等のように認知症状を表している言葉なのですから、どのような病気によって、認知症状がでているか、その病気の本質をとらえてこそ、適切な介護ができるのです。
若年性アルツハイマー病の妻を約10年間介護してきた私の結論です。では、若年性アルツハイマー病とは、どのような病気なのでしょうか。

1、若年性アルツハイマー病は、次のように4つのことが続いている病気です。

①脳の神経細胞が徐々に死滅していくことにより、記憶が消えていき、記憶されない進行性の病気です。
②そのために、認知機能が低下していく病気です。(知的能力が低下していく病気です。)
③認知機能が低下していくために、今まで普通にできていたことや、理解していたこと等ができなくなったり、わからなくなったりしていくことによって、不安・自信喪失・劣等感・混乱・絶望感・落ちこみ・私は誰になっていくの?という焦燥・もどかしさ・葛藤等で悩み苦しむ病気です。
④ ③のためにうつ病的になったり、易怒、徘徊・介護への抵抗・妄想等がでる病気です。


注1・・・多くの書物は、認知症の中核症状と周辺症状にわけて書いています。中核症状として、~~障害という言葉をつかっていますが、~~障害が重くなっていくと使うべきです。周辺症状には、上記の②・③・④が入っています。結して周辺症状と呼ぶべき症状ではありません。病気の本質をあらわしている症状です。
他にも正しくとらえていない記述があります。

注2・・・社団法人 認知症の人と家族の会発行「ぽ~れぽ~れ」347号リレーエッセー左下3行目「妄想、徘徊といった症状こそ、懸命に生きる人の姿がある」


2、若年性アルツハイマー病における認知症状の経過とケアの要点です。
(心の状態は上記の②③④です)

①社会的活動や社会的自立生活が困難になっていきます。日常生活も困難になっていきます。会社勤めの人は、失職を余儀なくされますが、ジョブコーチがついてくれれば、福祉的就労が可能な時期でもあります。言葉で自分の気持ちを話せます。まだまだ出来ることは、いっぱいあります。親しい人と旅行もできます。美術館・博物館等へ行って楽しめます。迷子にならないように、二人以上で出かけ大いに楽しみましょう。楽しんで不安や自信喪失・劣等感等吹っ飛ばしましょう。ケアする人も共に楽しんで、気晴らしをしましょう。気晴らしがあればこそ、受容してケアができるのです。
妻の場合、専業主婦で、私は退職後でしたので、買い物は一緒に行く。食事づくりは、大根を洗って、切って等手順を分けて話していくとできました。自動車の運転は、私はできませんので、いつも私は助手席に座り、道案内をしました。交通ルールは理解している。「右に曲がって」「まっすぐ」「車間距離をあけて」等、私の話すとおり運転してくれていました。アルツハイマー病と分かってから、約2年後まで運転を続けていました。
その頃日中は、旅行や日帰り観光、大和郡山市内を歩き楽しんでいました。
夜中に目を覚ますと、「死んでしまいたい。アホやから」「役に立たないから」等話すことが度々ありましたが、その都度「このように役に立っているから」「家族みんな助かっているから」と話してきました。今も妻と一緒にひとつの布団で寝ていますが、当時は妻を真ん中に息子(身障2級・療育手帳A障がい者、現在入所中)と3人、川の字で寝ていました。昼も夜も一緒にいることにより、孤独感なく、失われていく記憶の不安や自信喪失等は少しやわらいでいたと考えていますし、楽しいことをして気晴らしをすることが、脳の活性化にもつながり、進行を遅らせていたと思います。
 
②だんだんと身辺自立も困難になっていきます。言葉も減少し、自分の気持ちを話すことが難しくなり、焦燥が大で、自分の意思に反することには、大きく抵抗します。妻の場合も、特にお風呂に入る、衣服着脱には抵抗は最大でした。この頃にはまず看護師さんに、その後ヘルパーさんにも来てもらってお風呂に入っていました。又すぐ腹を立てる。自分がしたいことをしていきます。認知機能が低下しても、感情は豊かで意思はあるのです。
この時期は、身体的エネルギーを100パーセント発散させていくことが特に大切です。どの時期でもですが、昔とった杵柄で運動ができたら最高です。親しい人と一緒にハイキング・花見・神社仏閣参り・山登り等で意図的に徘徊しましょう。出来ることで楽しいことをして、大いに楽しみましょう。楽しんでいるときは機嫌良好です。私たちも大いに楽しみました。混乱期といわれる時期を在宅で乗り越えられたのは、ヘルパーさんのおかげです。私ひとりでは、つぶれています。娘2人にも電話をして、愚痴をこぼしたり手伝わせたりしたからです。出歩くことで楽しんだからです。特に歩くこと・楽しむことは、脳の活性化につながり、好奇心を満足させ、心の安定に役立ったと考えています。

③知的能力の低下とともに、運動能力も低下していきます。バスの乗り降り困難・エスカレーター無理・階段の上り下り困難とともに、トイレ・お風呂・食事の介助が増えてきます。
そして、妻の場合、赤ちゃんのような天使の微笑みの時期になってきました。やさしい声かけ・スキンシップ・笑顔で囲まれてこそ、笑顔になるのです。周りの雰囲気に大変敏感なのです。今は 団地内を歩くことが主になってきました。おかげさまで近所の人々との出会いが多くなり、笑顔いっぱいの散歩となっています。妻は自分ひとりで起き上がることが出来なくても、介助して立ち上がらせると、一人で立ち、歩くことが出来ます。起きてこないから寝かせておくと、寝かせきりになり、寝たきりになってしまいます。歩くことで筋力が維持され、バランス力の低下を防いでいるのです。

④やがて寝かせきりが寝たきりになり、ターミナルへと進んでいく病気です。


3、適切な介護とは、今出来ることを続けて出来るようにしていくこと

笑顔で介護すること
隠さず・オープンにして介護すること
多くの人々の助けを借りて介護すること(社会的介護で)


適切な介護とは、どのような介護なのかといいますと、上記1の②知的能力状態と③の心の状態から、本人に合わせて創り出していくことだといえます。
病気の本質として、だんだんと分からなくなり、出来なくなっていくのですから、今の時点で出来ることをしていくことです。わかることで楽しむことです。今出来ることをすることによって、今出来ていることがより長く出来ることが出来ます。出来ることをしていくことによって、不安を和らげ、少しでも満足感を持ってもらえます。分からない・出来ないことが、わかる・出来ることで不安が安心に変わることもあります。最も親しい人と一緒にいつもいることによって、不安が安心に変わります。どの時期においても、不安が安心に・自信喪失・劣等感等が少しでも出来た・出来たの喜びに変わってくれれば、いいですね。そのためにも介護の鉄則は受容です。まずあるがままを受け入れることです。
また、不安や自信喪失・焦燥などは、特に最も焦燥がきつい時期は、身体的エネルギーを発散させていくことで、身体を疲れさせて、今は何もしたくない気持ちになってくれて、ぐっすり寝てくれればいいのですが・・・。
知的能力が低下し、歩くなど運動能力が低下しても、感情は豊かです。感性は敏感です。まわりの雰囲気に表情は変わります。明るく楽しい雰囲気ならば笑顔に、暗くて冷たい表情の人たちに近づくと、一瞬さっと心の閉じた暗い表情になります。笑顔いっぱいが一番大切な介護なのです。
適切な介護は私ひとりでは出来ません。ヘルパーさんたち・デイサービスやショートスティのスタッフのみなさん方・近所の方々・娘たち・親類の人々・家族会の方々等の同じ目的を持ち、心のこもったふれあいのおかげです。隠さない、オープンな介護を目指しています。

4、介護の目的は、個人生活・家庭生活・社会生活の充実です。

特に社会生活の充実のために、団地内外の散歩とともに、にどわらし(大和郡山市認知症家族会)・朱雀の会(若年性認知症の家族会)・社団法人認知症の人と家族会奈良県支部の会合に、ヘルパーさんと3人で参加しています。多くの方々との出会いとふれあいがあり、幸せに生きています。

(更新:2009/08/06)
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